☆死ぬる時節には死ぬがよく候

 

「無苦集滅道」
―― 苦集滅道は無く ――

お釈迦様が成道後の坐禅で十二縁起を順逆に考察されたのは先に触れたところです。このおり悟りの内容は深遠で誰も理解できないだろうと、法を説くことを躊躇われたのですが、梵天の「どうか、法をお説きください」との懇請により坐禅思惟から立ち上がり、ベナレス郊外の鹿野苑(現在のサールナート)へと向かうのです。

ここに〝初転法輪(しょてんぼうりん)〟と言われる初めての説法が、五人の比丘に教示されるのです。五比丘はお釈迦様が出家されたとき、父であるシャカ族の王から警護役に付けられた者たちで数ヵ月前まで苦行の仲間でした。
〝苦行は悟りの道ではない……〟との示唆的予兆を覚えたお釈迦様は、苦行を止め村の娘から〝乳がゆ〟の供養を受けて体力を回復し、菩提樹の下で結跏を組み定に入るのですが、供養を咎めた五比丘は「釈迦は堕落した」と去っていったのです。

仏陀(目覚めたお方)となったお釈迦様は、法を説くなら先ず五人の比丘にと、200キロに余る道のりを超えて苦行中の彼らに懇切に法を説き示すのです。

『初転法輪経』には以下のように出ています。
比丘らよ、生(しょう)も苦である。病も苦である。死も苦である。怨憎い人びとと会うのも苦である(怨憎会苦)。可愛い人びとと離れるのも苦である(愛別離苦)。求めるものを得ないことも苦である(求不得苦)。要するに取著ある身心環境は苦である(五取蘊苦)。というのが苦に関する神聖な真理(苦聖諦)である(略)。
仏教要語の基礎知識 水野弘元著(春秋社)

私たちが直面する「苦」の問題に少し補足します。
生とは生類の中に生まれてくることですが、この輪廻は「苦」であるとして「生苦」ととらえ。避けられない運命である老いと死は「老苦」と「死苦」でしかなく、望まぬ病は「病苦」そのものです。生きるとはこの存在に関わる根本的苦悩を〝四苦〟とし、精神的葛藤より発する苦悩の怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五取蘊苦を数えて〝四苦八苦〟と認識することでもあります。
お釈迦様は「己(こ)は苦なり……」と、端的に存在の真理を指さされるのです。

観自在菩薩は「苦」そのものを無条件に受け入れるなら、苦しみも迷いも悟りもない。苦集滅道の四諦もないと説き明かしてくれます。
無条件とは100%自分が無いこと! 「苦」と混じりっけなしになってしまうと「苦」の意識はさっぱりと無くなってしまう。純粋に成り切るなら真理と一体の自己が活きいきと展開する場が啓けて、自由に活きる道に通じるのだ。と。

では若波羅蜜多による「苦蘊」の解放は如何にあるべきか……。
この疑問に良寛禅師が応えてくれています。

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」

上記は良寛禅師の見舞い状の一節で、禅師が71歳の文政11年(1828)11月に、新潟で起こった〝三条の大地震〟のおり、大変な被害を受けた親しい知人あての手紙をこの言葉で結びます。
まことに良寛禅師の親切を尽くした真っ直ぐな心で、ずばり「苦」の解放は、この生き様以外にはありません。

仏教の根源的問題はすべて私たちの存在そのものにあって、その解決は日々生きる場で自らに問われます。死ぬるとは、再び甦るのです!

「あざやかに生きる」般若心経のおはなし Vol.5(2017年1月)より転載