一休禅師の歌 2

 

花を見よ 色香も共に 散り果てて 心無くても 春は来にけり(一休宗純禅師)

花といえば桜です。

その咲き乱れつつ散る様は「色即是空」そのままに隠しようもなき生命(いのち)の相です。
私たちは散り際の見事さを情緒的、詠嘆的に称えてきました。
また愛でて、「……都ぞ春の錦なりける」と歌います。
ただ、仏教の無常観は生命の循環の事実をそのままに観るのです。

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生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人
(しょうじじだい こういんおしむべし むじょうじんそく ときひとをまたず)

どのように生き、死をどう捉えるのか、生死は解決すべき大事な問題であります。

月日は瞬く間に過ぎ去ってしまいます。
今の時間の一瞬いっしゅんは、もう繰り返しがないのです。
万物も人の世も無常そのもので、生滅と転変は思いがけず早く、気付いたときには自分の時間はもう尽きようとしているかも知れません。

――人身受け難し いますでに受く―― 頂いてきた生命を見つめ直すことは、
自己を生かしきることです。

(平成26年12月、小冊子『「苦」を生きる 般若心経のおはなし vol.3』掲載)