仏教用語 かんたん解説(3)

悪趣(あくしゅ) 悪業の結果行かねばならないところ。地獄・餓鬼・畜生の三悪道といい、ここに転々と生まれかわることを悪道の輪廻という。これに修羅・人間・天上を加えて六道という。
――生命あるものが、逃れられない輪廻――

因果(いんが)
原因と結果。原因があれば必ず結果がある。善因善果、悪因悪果、因果応報と理解される。よくネガティブに現在の不運不幸の原因を過去前世の悪業と捉える場合があるが、元来は日々の善行努力によって報われるという意味である。
――善行・徳行に正直なら、果報のある因果律――

 
お盆(おぼん) 盂蘭盆会(うらぼんえ)の略。7月(または8月)13日から16日まで行われる先祖供養の法会(ほうえ)。盂蘭盆は原語「ウッランバーナ=死者が逆さ吊りになって苦しむ」意味で、お釈迦様の高弟、目連が餓鬼道に堕ちた母を救うために行ったのが起源とされている。
――善行を廻らせる感謝の修行徳目。今に生きて三世に子も親も有縁の人に功徳を向ける――

因縁(いんねん)
直接原因である「因」と間接的原因である「縁」とをいう。仏教ではあらゆるものが因と縁とによって成立し、また破壊すると考える(略)  『ブリタニカ国際大百科事典』
――恣意的な考えに囚われず、その時その場を正直に生きる――

 
縁起(えんぎ)
一切の事物は固定的な実体を持たず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ。(略)                  『広辞苑』
――この世は、縁起と空が表裏一体で仮に存在することの妙味――

観自在菩薩(かんじざいぼさつ)観音様
(略)世間の人々の救いを求める声を聞くとただちに救済する求道者の意。(絡)『ブリタニカ国際大百科事典』
――「観れば自らに在る菩薩」と気付けば、私たちは菩薩です――

(く)
人間の心身を悩ます状態をいう。その軽微なものを憂(う)という。仏陀は人生の基本的なありようを苦と見、これを苦諦(くたい)(苦聖諦)といった。
『百科事典・マイペディア』
――肉体的な苦と精神的な苦を、四苦八苦と示します――

(くう)
固定的実体の無いこと、実体性を欠いていること。(略)       『岩波仏教辞典』
――世界の事物と自己の存在のすべてが、常に新しい状態であること――

五蘊(ごうん)                      
(略)人間存在を把握する、色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)の五つの法方をいう。(略)            『百科事典・マイペディア』
――私たち存在の我執の元である五つの構成要素――

三毒(さんどく) 貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)の三つの煩悩、むさぼること、怒ること、理非のわからないことの三つ。          『精選版 日本国語大辞典』
――根本煩悩ともいい、誰もが一様に持っている心――

浄財(じょうざい)
寺院または慈善事業などに寄付する金銭。                『広辞苑』
――布施から始まる修行は喜捨となり浄財となって完結――

無位(むい)
(略)位を超越していること。特に、禅では迷悟を超越した人を無位の真人という。       『精選版 日本国語大辞典』
――地位名誉、肩書きにも活きる立場に100%成り切っているところ――

 

小冊子『苦を生きる 般若心経のおはなし』Vol.3 より転載
(追加コメントは和尚の独断的解釈です)