☆放下して、誓願に生きる

 

“坐禅と般若心経の集い”法話 vol.7

「行深般若波羅蜜多時」

般若波羅蜜多とは、「到彼岸」とか「六波羅蜜」と説示される六種の項目のうち、悟りの境地にいたる智恵の実践徳目です。
六種とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵の各徳目で、誓願を起こし選んだ徳目を守り通すことが菩薩の生き方とされます。
菩薩とは私たちのことに他なりませんから、自身が誓願をおこし徳目を守り菩薩の道を行じると捉えてみましょう。

 

―― (観自在菩薩が)般若波羅蜜多を深く行じた「時」とは ――
大森曹玄老師が、道元禅師の「有時の巻」を例に引いて解説されています。
「有は悉く時なり、時は悉く有なり」――在るもの、存在するものはすべて時間をもつ。時問とは存在である。(略)その「時」を、道元禅師は、過去から未来へと流れていく時間、未来から過去へ流れている時問、それから、今から今へと流れている時問、大略この三つに分けております。(略)
(大森曹玄著『からだで誦(よ)む 般若心経』)

 

人間の全遺伝子情報(ヒトゲノム)の解析は2003年4月に完了したとされます。
正確な記憶ではありませんが以前、遺伝子解析が進み将来に重い病気になることが分かれば、保険に入れなくなるのでは、と危惧する情報を耳にしたことがあります。
未来に予測される現実が今現在に近付いてくる……。今までの概念の過去、現在、未来へと流れる時間と反対の時間の流れが浮き上がってきました。
しかしどちらの流れの時間でも、私たちの存在の認識は常に今現在でしかないことは明らかです。
その「時」の体感はいつも身近な事柄に感動を持って留められます。 人生の進路の扉が開いた合格発表のあの日。 あの時、父が涙したバージンロード。
ぎこちなくしっかりと抱きとめた赤ちゃんの肌の暖かさ、命の鼓動と全身の泣き声は無条件の愛の重さ……。
すべて今現在に身心の生きて在ることの証でしょう。

 

現在の不調和の原因を過去の事象に求めても、過去を辿って道を修正することや、未来に走って成功を喜ぶことも不可能です。今、現在を離れて顕れはない時間と存在(私たち自身)は、常に生き方が自身に問われることとなります。
ここに誓願を守り抜くという実践が、より良く生きるという場において、意味を確実なものとします。そのようにお考えになりませんか?

今現在を100%燃焼し尽くす生き方は、今の生きる場にしっかりと立つこと意外にはありません。それは特別な別の世界に迷い入ることではないでしょう。

もう一度、大森曹玄老師の解説を引きましょう。
今から今、今から今と、いつでも私どもの直面しているのは絶対の今です。 絶対の今において最もよく自己の相というか、本質というか、それを表現する、――それが結局、深い般若波羅蜜多を行ずる時なのです。
(大森曹玄著『からだで誦(よ)む 般若心経』)

vol.8へ続く

by 般若心経のお話し 2012/10/24(水) ブログ掲載