☆色即是空 空即是色

“坐禅と般若心経の集い”法話 vol.9

「舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」
―― 舎利子(シャリシ)よ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色は即ちこれ空。空は即ちこれ色。 受、想、行、識も またまた是の如し ――

お釈迦様の弟子の中で最もすぐれた10人を十大弟子と称えますが、舎利子とはこの中で智慧第一と崇められた舎利弗(シャリホツ)尊者のことです。

『般若心経』のプロローグは、仏弟子として最高の悟りを得た尊者に、大乗仏教の菩薩である観自在が、「舎利子よ……」と、体現した“般若の空”の思想を説き始めるのです。

後世、人口に膾炙する「色即是空 空即是色」のフレーズはこの場面で登場します。
大乗仏教は悟りを求めるとともに利他の救済につとめる“菩薩”が主役です。 私たちに救いの手を差し伸べてくださる観音様(観自在菩薩)は、理想的人格のモデルなのです。
日本に伝わった私たちの仏教が、この観音様と多くの菩薩が活躍される大乗仏教です。

観自在菩薩が説かれる“五蘊の空”なるところを意訳すれば以下のようでしょうか。

―― 舎利子よ……。
(色不異空)我々は変化し続ける存在なんだよ。
(空不異色)赤子と生まれ青年から大人となり老いてゆく。
(色即是空)存在は正に変化の流れそのものだ。
(空即是色)変化とは即ちいつも新しいこと!
(受想行識)諸々の想いも、刹那に新しく、すぐさま変化する。
(亦復如是)しがみつきさえしなければ、存在はそのままで新鮮なのだ。

―― 私たちが自分自身と認識している心や体は、即今に仮に存在するのであって、不変の自己とか、自分の物というような確たるものはないのです。

よく観れば、我執と渇愛で執着している五蘊を放したくない私たちがいるのです。
観自在菩薩が一切の苦を解放した五蘊の諸問題は、そっくりそのまま私たちの放したくない問題に他なりません。

以下は次回に続きます。

(このブログはどこまでも独断的な解釈であることをお断りしておきます)