賢者の歌

廬山は烟雨 浙江は潮 未だ到らざれば 千般恨み消えず 到り得て還り来れば 別事なし 廬山は烟雨、浙江は潮 (蘇東坡)

蘇東坡(そとうば)作とされる偈頌の一節です。ここには悟了と未悟の境界が、彼の心境をとおして、見事な鮮やかさで示されています。
目覚めてみれば、何も変わったところがあるわけではなく、世界の在りようが、そのままあたりまえに見えている。との蘇東坡の境界です。
即ちその場に世界の実相が露になったということでもあります。

何かを知っているという人生より、何を体験したか! ということが人生の大事なのだと、賢聖方の偈頌は物語っています。

 

―― 随處作主立處皆真(ずいしょにしゅとなればりっしょみなしんなり)――

如何なる環境にあっても主体性を失わなければ、到る處皆真實の世界となる。『訓注 禅林句集』

上記の語は、臨済禅師(?――八六七)が『臨済録』に於いて、平常の在りようを示した有名な語句です。
その場、その瞬間に於いて、自己の存在を自分自身に取り戻せ、問題はすべて己自身の内に在るのだということです。
そのようで在るなら仏法は何の面倒もない、手間ひまかからぬと説示されるのです。

在りようは「平常無事(びょうじょうぶじ」、常のままでありさえすれば良いのだ。この日常底にその場で主人公になれ、と。

(平成28年正月、小冊子『「あざやかに生きる」般若心経のおはなし vol.4』掲載)