☆何も無い場にすべては在る

「無智亦無得」
―― 智も無く、亦た、得ることも無し ――

『初転法輪経』の説法は続きます。
次に比丘らよ、輪廻再生に導き、喜びと貪りを伴い、いたるところで喜び楽しもうとする熱愛欲求(渇愛)――略―なるものは、〔苦の集(原因)であるというのが〕、苦の生起の原因に関する神聖なる真理(苦集聖諦)である。
次に比丘らよ、右の熱愛欲求(渇愛)を残りなく離れ滅し、捨て遣り、脱して無執着となることは〔真の理想目的であるというのが〕、苦の滅に関する神聖なる真理(苦滅聖諦)である。
次に比丘らよ、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定という、この八つの部分からなる神聖なる道(八支聖道)こそ、〔理想達成の方法であるというのが〕、苦の滅にいたる道に関する神聖なる真理(苦滅道聖諦)である。
仏教要語の基礎知識 水野弘元著(春秋社)

真理の教えが平易に展開される、この四聖諦(四諦八正道)の教理は、お釈迦様が最初に説かれた教えで仏教の根幹のところです。
これを踏まえて『般若心経』では、観自在菩薩が智慧波羅蜜を修して「一切苦」を解放し得たと進展があるわけです。

前項に「無苦集滅道」と仏教の根本原理の四諦(四聖諦)も無いと言い、続けてこの項で――智も無く亦た得ることも無し――と自ら至り得た境界を示されて、既に般若の智慧という意識も、それを獲得した意識も無い。智慧と一〇〇%区別は無い。よって般若の知恵そのものなのだと……。全肯定を強調するために「無い」と全否定するのです。

〝苦行は悟りの道ではない〟と菩提樹の下に坐したお釈迦様の苦行とは極端な断食行でした。骸骨のような骨の相となった「釈迦苦行像」が現在に伝わっています。
生命(いのち)を削るほどの過酷な断食行は真理には遠い道なのです。
この故に観自在菩薩は智慧波羅蜜が、お釈迦様の禅定と悟りに通じる実践であるとして、「智も無く亦た得ることも無し」と般若の智慧を宣揚するのです。

再度見返しの語句を載せておきます。

「無一物中無尽蔵 有花有月有楼台」
――無一物(むいちもつ)中 無尽蔵 花有り月有り楼台有り――

一度自己を尽くして宇宙の真源に徹してみよ、何者か自己ならざる。見るもの聞くもの皆光明。                         『禅林句集』

この何もないところに発揮される力が人生を創造していくエネルギーです。宗教的人格へと変容する扉が開くと、境界において再び退転することがないのです。

後藤瑞巌老師は『白隠禅師毒語心経講話』で、「結局のところ〝智も無く亦た得るところも無い〟この〔無智〕というのは、実は〔大智〕である……」。このように示されています。

仏教は自己の存在を迷いの輪廻から解放するカリキュラムです。
先賢方は「存在の問題をこの一期で解決できなければ、どの世界でどのように自分自身を救えるというのか……」と、経典や語録で励ましてくれています。

まずは自分の都合を外すところから始めて、善し悪しのどちらかにも片寄ることなく、両方ともに忘れて現在にしっかりと立つなら問題は自ずと解決をみるのです。

「あざやかに生きる」般若心経のおはなし Vol.5(2017年1月)より転載